小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、出荷用マイカートです。
人間関係の醍醐味は「差し」だと前に書きました。
小説も出せば売れる80年代に、文芸の現場に入りました。ミステリー全盛で、いわゆる「ベストセラー作家」というのが何人もいました。その人たちと会うのは、会社の複数の部署の人間と一緒でした。その会合が得意にはなれませんでした。何も言わずに黙っているわけにはいかないし、かと言って、先輩を差し置いて言っていいことなのかも分からないし、新聞やテレビが報じているようなことに相槌など打ちたくないし、お追従笑いもできません。
そんな中で、一人で会える作家の方との「打合わせ」にはストレスがありませんでした。
部署が替わってからは全て「新規開拓」だったので、編集長になるまでは、「差し」以外はありませんでした。ストレスがないとは言っても、上述のを逃避的ストレスと言えば、攻撃的ストレスがないわけではありません。編集者は原稿を取れなければただのクズですから。
小説に出てくる会話は、ほぼ「差し」ではないでしょうか。内容の密度、緊迫感、緊張感、スピード感から自ずとそうなるのでしょう。
藤岡陽子さんの長編書下ろし小説『僕たちは我慢している』にも「差し」の名場面は数多あります。高校生なので「差し飲み」ではなく「差しラーメン」の頻度が高いです。
歳を取って、ほとんど差しで会っていた人間が地上を去るのは寂しいでしょう。共に振り返ることはもうできません。だからこその醍醐味でもあるのだと思います。
藤岡さんが作品を語ります。
讀賣新聞(5月19日朝刊)文化面に取り上げていただきました。
佐藤亮子さんに推薦していただきました。
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