小説に対する考え

小説は圧倒的に面白くなくてはなりません。
読み終えるまでは、その本が鞄の中にあるだけで 心が弾むぐらいに。
そして読後の感動も不可欠です。
それは、生きていることに 胸が高鳴るほどのものでなくてはなりません。

小説には様々なジャンルがあり純文学、エンターテインメントという
分け方もありますが、優れた小説か否かの二種類しかないと考えています。
優れた小説には先ず 引き込まれる文章の魅力があり上述の面白さはもちろんのこと、
読む者の見慣れた景色にひとすじの光を当て励まし生きる力を与えます。
先達の知識、経験、知恵などが書かれた エッセイは今多くの人に読まれています。
先行きの不安に、自身の成長・平安を願う人は老若男女を問わず少なくないでしょう。
人は感じて、気付いて、自分の頭で考えて分かったことしか身に付きません。
苦労しないと成長しないというのは真実なのでしょう。ただ、一人の人間が
経験できることには限りがあります。今日的にはオンライン化が進み、
密な実体験の場は減ってきています。そこで疑似体験としての小説です。
他の表現手段よりも想像力が培われ、冷静にかつ咀嚼ができる苦労・困難の
疑似体験です。古今東西多くの人たちに読み継がれてきた名作と言われるものに、
その苦難が描かれていないものは一つもありません。
自分の悩みがなにかちっぽけなものに感じられてしまうことも多々あるでしょう。
「小説を読む醍醐味は、苦難の疑似体験」とも言えます。
読む苦難がなぜか人を夢中にさせるのは、その苦難が鏡となって自分自身を映し出す
からです。さらに同じ轍を踏まないための予行演習になったり、
自分なりの曙光を見付けられたり。そして、その心地よい緊張感のある疑似体験と
文学的感動が人の意識を変えます。優れた小説はページを繰る手を止められず、
胸躍り、いずれ必ず精神(コン)実用コンパス(パス)になります。
小説が売れないと言われて30年以上、文藝編集者として確信に至ったことです。