小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、今朝のボート池です。
前号に書きました、「刑務所の中でも読める小説」とは。
人間にとって大切なこと、普遍的なことが描かれているに尽きるでしょう。もっと分かり易く言うと、「どうでもいいこと」じゃないことが描かれているということです。
前に書きましたが、だれ一人の例外もなく、すべての人間が自ら手を挙げてこの地上に立ったのだと思います。日々のニュースを見ていると猛反発は容易に想像できますが、人間には肉体とは別に「本体」があり、この地上とは別に「本拠地」があると考えているからです。
「自ら手を挙げ」た思いもだれもが一旦は忘れてしまうようですが、例えば「刑務所」のような厳しい環境に置かれたときに思い出すのかもしれません。喉元過ぎれば熱さを忘れるが適切かは分かりませんが、易きに流れる人間は、安穏とした精神状態では「どうでもいいこと」をどうでもいいこととは分からないのでしょう。
優れた小説は、「どうでもいいことじゃないこと」が何なのかに気付かせてくれます。
藤岡陽子さんの『僕たちは我慢している』は、学校からの引きが特に多いです。
分かってほしくてもうまく伝えられないことが、ページを繰る手を止められずに、込み上げる熱い思いとともに分かるように描かれているからだと思います。
藤岡さんが「さくらFM」に生出演されました。
讀賣新聞(5月19日朝刊)文化面に取り上げていただきました。
藤岡さんが作品を語ります。
佐藤亮子さんに推薦していただきました。
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