小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、「魚影が濃い」に擬えて「緑影」があっという間に濃くなりました。
「年を取ることを寂しいと思ったことはないが、友だちがいなくなるのは寂しいね」
今年の初めに、友だちが亡くなりました。身内での葬儀後に奥さんからの報せで知りました。
友だちというのは、会いたければいつでも会えるものだと思っていました。その彼とは十年以上会っていませんでした。「会いたければいつでも会える」年齢でもなくなりつつあると思い去年から連絡を取っていましたが、身体が芳しくないようで、結局会えずじまいでした。
学生時代の、文字通り「同じ釜の飯を食った」仲間がいます。彼、彼女らとは年に二回集まっています。まとめ役の一年後輩が発案した、その「年二回」が絶妙なインターバルだと気に入っています。
冒頭は、先輩編集者が、50年来の付き合いがある作家が亡くなったときに人に話しているのが聞こえました。
藤岡陽子さんの書下ろし長編小説『僕たちは我慢している』に登場する彼らは、今後も年一回は必ず顔を合わせるでしょう。今月下旬から始まる、後輩たちの、夏の大会の予選で。
定期的に会って更新しなければ、昔話をするだけの友だちになってしまうような気もします。
讀賣新聞(5月19日朝刊)文化面に取り上げていただきました。
藤岡さんが作品を語ります!
佐藤亮子さんに推薦していただきました!
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