小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、オビを外した書影です。
「人なんてわずかな時間を生きているのだから、いまこの瞬間にある本当の心を大切にしなければ、なんのために生きているのかわからなくなってしまう。」
ある小説の中で、主人公が行動を決心するときの「独白」です。
以前、デスクの目に付くところにこの文章を貼っていました。現在は、頭の中に入っています。
人生を「わずかな時間」と考えるか、たっぷりの時間と考えるかで、生き方はまったく変わるでしょう。
「十九歳で人生の半分が終わる」
高3の夏まで野球を続けていて受験勉強にまったく身が入らない中森揮一は、「ただ後悔のないように生きてるだけなんだ」と語る、日本の大学病院を退職して台湾で漢方診療所を開いている真下正則に、その言葉の意味を説かれます……。
何れも藤岡陽子さんの作品からで、前者は『手のひらの音符』、後者は5月13日発売予定の「僕たちは我慢している」です。
「わずか」か「たっぷり」か、二つの考え方の何れが充実した人生を送れるかは、自明です。
人間、自分の人生から知り得ることなど限られています。小説という他人の人生は、胸躍る羅針盤COMPASSです。優れた小説は何れ必ず読者の道標になります。
予約いただけるようになりました。
コメントを残す