小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、知事は何を目指しているのでしょう。
「小説観」の続きです。
いろいろな小説があっていい。当たり前のことです。小説を書く人の数だけ小説観はあるとも言えます。
小説復興・文藝復興を真剣に目指した時に、そんな編集者がどれだけいるのかということもありますが、どのような小説がその原動力になると考えるのか。
ある作家の方に、「○○さんの小説が広く読まれるようになったときが、文藝復興の始まりです」と10年以上前から言い続けてきました。その方にとっては、誇大妄想、大言壮語に聞こえていたとは思いたくありませんが。
先の問いの答えです。読み始めたら鞄の中にあるだけで心が弾み、読後は胸が高鳴り、見慣れた日常に光が差すように生きている喜びが湧上がって来る作品です。
文藝復興のために考えた小説観ではありません。元々の、読みたい小説、作りたい本の小説観です。
ある作家の方とは、もちろん、藤岡陽子さんです。藤岡さんとは小説観が見事に合致します。
藤岡さんの書下ろし長編小説「僕たちは我慢している」(5月13日発売予定)。
「著者の最高傑作」「著者の新たな代表作」などと価値観を押し付けるような文言は謳いません。小説復興を目的とする出版社の堂々と胸を張っての第一弾ですが、判断するのは、実際にお金を払って読んでくださる方々です。
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