「週刊COMPASS」第103号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、一つ残っていたのを高枝鋏で獲りました。

毎年正月に自分の遺影を撮っていると言う、会社の先輩がいました。

父の遺影ができた十年前から、遺影は大事だなと思うようになりました。

父の生前は、家でのことしか知りませんが、表情豊かにしている人ではありませんでした。ところがその遺影は、含みのある表情とでも言えばいいのか、その日によって表情が微妙に変わるように感じます。

父は午前中に亡くなって、午後から葬儀社の杉山さん、正にプロフェッショナルでよく覚えています、の言われるままに遺影を決める作業を始めました。あまり昔の写真にはしたくないし、最近のは家族で食事したときなどのしかなく難航しました。その写真は当初候補にならなかった家族の集合写真から、父を拡大したものです。父が小学生までを過ごした、幼少期にはいい思い出しかないのか、本当に故郷愛の強かった生地を三年前に訪れたときのものです。

思わぬ遺影の決定に、つい言ってしまいました。「イエーイ!」。杉山さんが笑ったかは覚えていません。

「その日によって」と書きましたが、正確にはその日のこちらの心境によってなのでしょうが、言ってほしいことを言ってくれているようにも見えます。

小説作法的に言うと、想像力を促す文章ならぬ表情とでも言えばいいのでしょうか。

父は、柿が好物でした。

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