「週刊COMPASS」第98号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、日本一の香りを放っています。

15歳上の従兄弟が、先が長くないだろうと思ったときのことです。

特に何の病気ということではなかったのですが、多忙を極めたのか健康状態に自信がなくなり、このままでいくと長生きできないと思ったそうです。

そこで彼は何をしたか。

当時高校生と中学生だった二人の息子との時間を少しでも長く持とうとしました。このままいなくなったら、息子たちは自分のことを何も知らないままになってしまう。何も知らないと言うのは、物事に対する考え、生き方、息子たちに望むことなどのようです。

「背中を見て学ぶ」という言葉がありますが、言葉にしなくても伝わることってどのくらいあるのでしょう。

彼は、息子たちへの言葉が圧倒的に足りなかったという焦燥感に囚われたのかもしれません。息子たちとの会話を文字起こししたら、四百字何枚ぐらいになったのか。短編か、あるいは掌編ほどだったのか。でも長さの問題ではないのでしょう。

私の父も言葉の多いほうではありませんでした。父親としては反面教師としたところもありますがそれはまた改めて。そんなに多くはない言葉の中でいちばん言われたのは、「草取りしろ」かもしれません。

就職活動の最中に言われた言葉は現在も自信になっていますが、息子を勇気づける意図などなかったと思える独り言のようなものでした。含羞んだ言い方だったのかもしれません。

何れにしても、言葉以上に大事なものなどあるでしょうか。

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