「週刊COMPASS」第86号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、そうは思わないのもありますが先輩編集者が書き残していったものです。

定期購読紙の土曜別刷りに三人かが交替でエッセイを寄せています。お一人の著名な映画監督のは必ず読みますが、かつての名優のことを書いた文章には特に引き込まれました。

吉永小百合さんも森繁久彌さんも宇野重吉さんもその方に心底敬意を払われていたように書かれていますが、それほどの俳優はその人以外にいるのでしょうか。

息子が深刻な病状を嘆きそれを聞く父親を演じましたが、その映画のそのシーンが特に印象に残っています。悲しくない父親なんかいるわけないでしょうが、息子としては、五十を過ぎている息子ですが、父親はやはり父親であってほしいのです。その父親役が見事でした。

仮にそのような俳優が出ていても「映画自体は今一つだった」は一人芝居ではない限り有り得るのかもしれませんが、「文章はよかったけど、小説はよくなかった」も「小説はよかったけど、文章はよくなかった」も有り得ないと思います。

演技に於いての役者は、小説にとっての文章です。文章は出ずっぱりの主演俳優です。文章には、小説家のすべてが表れます。その小説家をも超えた存在が表れたときに、類い稀なる傑作が生まれるのかもしれません。

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