「週刊COMPASS」第82号

小説復興・文藝復興を真剣に目指しています。

父が残していったものを片付けています。亡くなったとき、デスクの上にあったものの中に、朝日新聞「声」欄の切り抜きがあります。赤字の日付は「2010.3」です。亡くなったのが2014年7月ですから、四年以上机の上にあったことになります。

読みました。90歳の方の投稿です。

文字が滲むほどに胸を打たれました。その四百字の文章を、海軍とは言え同じ立場だった父は何度も読み返したのか。

その方がいた中国戦線の小隊に、学徒出陣のインテリ少尉が隊長として赴任してきました。教範通りの生真面目な統率で号令にもまるで迫力がなく、気の荒い兵の統率に心労が明らかだったようです。そこに敵のトーチカ爆破の命令が下りました。指揮官として部下に命じることなく、少尉自ら四人の兵を連れて出て行きました。五人無事に戻りましたが、その少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれでした。少尉が先頭を走っていたというのです。戦後30年経った戦友会でその方は少尉に再会します。大手製鉄会社の職に在って、戦中と同じ誠実な顔をされていた、とあります。

父の著作に、『人間魚雷搭乗員募集』という謂わば私小説があります。人間魚雷「回天」搭乗に志願しなかったことに対する強い引け目が窺えます。

この「声」をどんな気持ちで読んでいたのか。

指揮官とは言っても、どちらも当時22、3歳です。

その文庫版の「あとがき」に、

「日本では、『平和呆け』という言葉を聞くようになったが、呆けてもいい、平和を失ってはならない」とあります。

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