小説復興・文藝復興を真剣に目指しています。
熱いものが込み上げてくる言葉に出会うと、メモを残します。
最近の、その一部です。
「家族を失い、家を流された人がいるのに、普段通りの生活を続けていることに耐えられなかった。3か月後、県立宮古病院に赴任した」
「30年前指導員として八歳の障害者を入会させたら当時の主催者に注意されたので、自分がやるしかないと独立した」
「正月に帰省していて被災し86歳の祖母を背負って行った避難所で、身体の不自由な人たちの不便さを目の当たりにし、ヘルプマークの普及を願って東京都の職員から輪島市へ赴任した」
他人の困窮に対して、同じように感じる人、思う人、考える人は少なからずいると思います。決定的な途轍もなく大きな違いは、自らが担うかなのでしょう。
行動する人たちには、ただただ感服します。
コメントを残す