小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、ゲレンデは借り切り状態でした。
そもそもがなぜ小説復興・文藝復興を真剣に目指しているのか。
おもしろくて、精神実用としても小説ほど役に立つものがないことを知ってほしいからです。
精神実用としてという意味は、生き辛いという言葉がありますが、その真逆でいられるということです。
もっと分かり易く言うと、優れた小説を読み終えると、人間って、生きているっていいなとあらゆるものが愛おしく感じられるぐらいの熱いものが込み上げてきます。
その熱いものによって「私が、俺が」の「が(我)」がなくなっていくような居心の良さを覚えます。
併せて。
小説の無神経極まりないエンタメ呼称のために、割を食っている作品があります。
上述した優れた小説が当たり前に土俵に上がり、正当に評価されるためにも小説復興を目指しています。
価値あるものがその価値を存分に享受されないのは人類の損失、とまで言い切りたいです。
文藝復興は、人間復興です。
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