「週刊COMPASS」第59号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、きのう観た映画「おしょりん」は藤岡節全開でした。

「地上でのことは予めプログラミングされている」「すべては辻褄が合うようになっている」

それぞれ、十歳年長、同学年の作家から聞いて、頭の片隅に定位置を設けている言葉です。

二人とも、「生き通し」の前提に立っています。

17年前に新聞の記事で「小学校に入学して最初についたあだ名が『化け物』」と言うユニークフェイスの方の活動を知り、欲望のままに生きた人間も皆同じで死んだら終わりなど有り得ないと確信するようになりました。故に二人と同じ立場です。

すぐ近所に東京での住まいがあった、去年102歳で亡くなられた画家は、「みんな芝居の脚本通りではないか」という言葉を遺しています。

その著名画家はこの地上・人生を、ステージとも呼んでいました。

おととしからの二つの戦争、年が明けての震災、いずれも今に始まったことではありません。繰り返されてきたことです。

生存していたときに培われてきたそれぞれのさまざまな夢、希望、想い。それが犠牲になったと同時にきれいさっぱりなくなってしまうなどとはどうしても考えられないのです。

生存は、存在の部分集合に過ぎぬ……。

小説を読む者と読まない者の違いは、少なくとも読まない者には、自分の人生を一つの物語と捉えることはできないでしょう。

即ち、自分の人生の主人公であり、読者でもあるという二つの視点の有無は大きな違いのように思います。

読者は、感動を求めます。

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