「週刊COMPASS」第107号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、さぞかし熟しただろう後に乾燥してそのまま干し柿になる品種をラッキー(学名:lucky)と言います。

熟成魚、なるほど旨いです。

ハードなウイークデーにも関わらずほとんど毎週末のように海に出て、釣果を自ら捌いている二男に教わりました。海の楽しみを教えたのは彼の父親ですが。

先週末もLINEに大漁旗が上がり東京を横断するように白甘鯛を受け取りに行って、教わった通りに捌いて寝かせました。

旨味成分と言うのが醸し出されるようで、甘みがあって醤油など一滴垂らせば十分な旨さです。

魚は新鮮なほど旨いというのは、魚類にもよりますが、思い込みもあるようにおもいます。

話しは変わってちょっと前の新聞に、お隣り儒教の国でも電車内で年寄りに席を譲る人がいなくなっていて、何故なのかをインタビューされた若者は、「切りがないから」(年寄りが多くて)と答えたとありました。金太郎飴みたいですね。

父はいくつだったか、八十前だったことは確かですが、「八十五過ぎたら厄介者だ」と言っていました。三十年近くも前のことでしょうが、はっきり覚えています。自分のこととしては想像が及ばなかったことも。

人間はじーっと年を取っても熟成、じゃなかった成熟しないことだけは確かでしょうが、成熟したら熟成魚あるいは年代物のワインのように喜ばれて、厄介者にならないのかどうかは分かりません。

でも、今わの際まで進歩、発展、成長したいです。席なんか譲ってもらえなくても。

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