小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、去年の人生最後の熟柿だったかもしれません。
外を歩いていて木になる柿を見ると、辛いものがあります。今年は一様に実の数が少ないようなのが、まだしもの救いです。
「今日は昨日と変わりはない。明日もさまで変わらんじゃろ。今年は去年とあまり変わらん。来年も同じようなもんじゃろ。手術してまで生き延びようとは思わん」
「ええ柿食(く)た」
1885年生まれの祖父が、自分の息子たちに話したという言葉です。
祖父の一番の好物は柿、特に熟柿が好きだったようで、その柿も充分に食べたのでもうこの世に思い残すことはないという意味だそうです。「息子」の一人から聞きました。
9月に柿の木を伐りました。
毎年ではありませんでしたが、ここ何年かは鈴なりと言っていいほどに実を付ける枝もあり、シブいのもありましたが熟すと甘くなるので、もともと熟柿が好きなので賞味していました。父が元気なときは、柿の若葉を天ぷらにもしていました。
工事のためにやむなく伐らざるを得なかったのです。もうすでに実がそこそこの大きさになっていました。
家の者たちはあまり食べなかったので毎年一人で相当量堪能しましたが、未練がないことはありません。柿の実に対してではなく、充分な恵みを施してくれた柿の木に対してです。申し訳なさと寂しさです。
藤岡陽子さんの書下ろし長編小説『僕たちは我慢している』には、柿も栗も一つも出てきませんが、「桃」は六つ出てきます。お読みになった方は、分かりますか。
藤岡さんが『僕たちは我慢している』を語ります。
讀賣新聞文化面に取り上げていただきました。
佐藤亮子さんに推薦していただきました。

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