小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、宴のあとです。
明けましておめでとうございます。
新しい年を迎えて、大上段に構えての「君たちはどう生きるか」、私家版です。
50歳になったとき、二つのことを思いました。「甘えは許されない年齢」と「いつ死んでもおかしくない年齢」です。
前者は、もう十分に立派な大人でなければならないというような感慨でした。後者は、二十代のときに知り合いではない五十代の人が亡くなっても、享年としては特になんとも思わなかったと考えたからです。
そこで、改めての「どう生きるか」でした。元々は小説の競作テーマとして考えました。
漠然としていて、広野に置かれたようで360度見渡せてもさてどっちに行ったものかとちょっと思案に暮れるような感じがしました。
人みな死ぬわけですから、最期から振り返る発想に思い至りました。最期のあり方を考えると、今の生き方が見えてくるのではないか。この答えはすぐに出ました。「悔いを残したくない」。さらに言えば、満足したい。途上での満足は、進歩、発展、成長の抑制になりますが、最期の満足なら許されるでしょう。「最期」というのは、何の誰べえと言う名前を持った人間としてのこの地上に限っての意味です。
悔いを残すとはどういうことなのか……。(以下次号)
藤岡さん、勉強する意味ってなんですか。
https://www.asahi.com/thinkcampus/article-121237
藤岡さんが『僕たちは我慢している』を語ります。
讀賣新聞文化面に取り上げていただきました。
佐藤亮子さんに推薦していただきました。

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