小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、そんなことは何も考えていなかった半世紀前です。
先週号の続きです。
小社刊、藤岡陽子さんの『僕たちは我慢している』を購読いただいた方からお葉書をいただいて、その感想が本当に嬉しかったと書きました。感想はもちろんですが、お便りをいただいたそのこと自体が有難いです。
人の言動に対してはいろいろな思いが生じます。その思いを、大雑把に二つに分けます。「いいなあ」と「あまり感心しない」。前者の思いが生じたときに、その相手に正直に気持ちを伝えることはさほど多くはないのではないでしょうか。物理的に無理なことはありますが、相手がすぐそばにいても。
対面していても、頷くとか笑みを浮かべるなどしない限りは、言葉にしなければ相手に伝わることはありません。
その、言葉にするというのはそう簡単なことではありません。面と向かって褒める照れもありますし、肯定のときは何も言わずに否定のみ発言する人もいます。その場合、肯定の程度は分かりません。
葉書をくださった宮崎県の方は、本の巻末に書いた拙文に共感してお便りしたと660字の達筆で、
数年前に読んだ有名な文学賞受賞作は、あと味の悪い、イヤな感じだった。生きていて幸せばかりなんてことはまったくないが、現象はその人間が持つイメージに正比例して起きることが多い。だから小説には「前向きな力が湧き上がって来る」明るい心もようになれることこそが必要だ。
という主旨の後に、「小説復興は人間復興」はまさにそうだと書かれています。
人間は、僕に限ったことでしょうか、弱いものです。自信があっても、他者に「そうだ、そうだ」と言ってもらうこともないと、気持ちを持続するのは容易いことではありません。
藤岡さんが『僕たちは我慢している』を語ります。
讀賣新聞文化面に取り上げていただきました。
佐藤亮子さんに推薦していただきました。

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