「週刊COMPASS」第189号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、三宅島に行ってきた二男の釣果です。

作家の方に「担当替えてくれと言われた」と、編集長に言われたことが一度あります。

編集の最初は、文庫を創刊する編集部に配属されました。1984年の文庫創刊は45番目の超弩級「後発メーカー」だったので、他社文庫と差別化を図るために文庫書下ろしを旗印にしました。長者番付が分野毎に発表される、量産できるベストセラー作家が大勢いた時代です。

文庫編集部の専任は私ともう一人の二人だけで、創刊ラインナップとして掲げた「文庫書下ろし&オリジナル」50冊の担当をその先輩と「山分け」のように等分されました。

その作家のお一人(仮にAさんとします)は船を所有して、担当編集者が小型船舶の免許を取って各社担当と海に出ていると聞きました。

暗澹たる思いに駆られました。

大学のヨット部の仲間と船を買ったばかりで、毎週末スキップしながら海に出ていました。もちろん免許は持っています。

Aさんを初めて紹介される、常套句なら「鉛の靴を履いているような足取りの」道すがら、引率二人の先輩編集者、雑誌と単行本の方に、「あなた、酒は飲むの」と訊かれ、あまり飲めるって言わないほうがいいよ、厄介な作家だからねと言われました。

即断即決しました。一滴も飲めないことに。

後日、「50冊」を考案した、安岡章太郎さんに「馬力のある編集者」と言われた編集長に、「Aが担当替えてくれって言ってきたよ」と言われました。この人は作家の名前を言うときはいつも敬称略です。そしてもうお分かりだと思いますが、率直な物言いをします。

「酒を一滴も飲まずに、人の目をカミソリのような目でじ~っと見て、気味が悪いって」

お酒を飲みながら喋り続けるAさんに失礼のないように、しっかり目を見てお話を聞いていました。どんなお話だったかは現在なに一つとして覚えていませんが。

嘘はいけなかったですね。でも、「こちらでは、一滴も飲めないことにしました」とは言えませんし。

それから、「厄介な作家」とは先輩お二人にとってはなのだと現在では偏見を持たないように考えますが、ことAさんに関しては万(せめて千?)人共通の「厄介」だったみたいです。

人間関係の醍醐味は「差し」だと現在は確信していますが、その当時はそんなこと露ほども思いませんでした。

藤岡陽子さんの書下ろし長編小説『僕たちは我慢している』(COMPASS)に登場する医師・真下正則さんは、ぜひ差しでと思わせる人物です。こちらは紛れもない万人共通だと思います。

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