「週刊COMPASS」第182号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、今朝ロードワークの途中です。

『本を読めなくなった人たち』(稲田豊史著)の新聞広告が、なかなか過激でした。

「『文章』というものの経済的価値が、劇的に下がりつつある」

「長い文章はChatGPTが要約してくれるので本を読む必要はないです」

「読書は『ながら』ができずコスパが悪い」

「今や『読書』が貴族の道楽なのか」

作家にお会いするときに、その方の最新作を読んでいないのは、頗る付の居心地の悪さです。勤めているときです。担当編集者としては有り得ませんでしたが、編集長のときにはありました。

そんな状況を避けたくて、時間がない中でどんな話かぐらいは把握しようと斜め読みと言うのか急いで読むのですが、ほとんど意味がありませんでした。そんな読み方で、書かれたご本人にまともなことなど何も言えません。いい加減な読み方は、その時間をただ無駄にするだけです。

さて、突然ですが、小説の未来は明るいと確信します。

要約できないのが小説だからです。もっと正確に言うと、要約しても意味がないのが、小説です。要約された小説を味わうことなどできません。要約された小説で感動することなど有り得ません。

タイパ、ですか、を考えての、ChatGPTに要約された文章を読む目的は「知る」、「学ぶ」でしょう。そのような、頭で読む文章と、今後、二分されるかもしれません。味わう、味わえる、心で読む小説の文章と。

藤岡陽子さんの書下ろし長編小説『僕たちは我慢している』(COMPASS)には味わえる文章がふんだんにあります。一つ紹介すると、深夜の冷えた逗子駅のシーン、英信の「大丈夫だ」には痺れます。彼と同じ高校生の読者なら、「やばい」と言うかもしれません。

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