「週刊COMPASS」第177号

小説復興・文藝復興を真剣に目指していますが、なんでやめたのかよく覚えていません。

小説において読者にページを捲ってもらうための、編集者の立場から、持説のひとつです。

主人公に興味、魅力を覚えない、共感、共鳴もできないというのでは先に読み進めるのは至難の業です。

そのためには、主人公が感情的になるのは好ましくありません。人が感情的になるのは、鬱陶しいものです。怒鳴ったり、泣き叫んだり。

感情を抑えるということではありません。直截的な感情表現を避け、読者がその人物の感情を十分に想像できるように描きます。「頭にきた」などとは書かずに、読者に「そりゃ、腹が立つよな」と思わせるように描きます。

もちろん小説に限ったことではありません。

怒り心頭で「めちゃくちゃ頭にきてさあ」と言われるのと、落ち着いた口調で「酷い目に遭った」と言われるのでは、どちらが親身になって聞いてあげたくなりますか。

欣喜雀躍して「聞いて、聞いて」って言われるのと、穏やかに「世の中捨てたもんじゃないね」と言われるのでは、どちらが先を聞きたくなりますか。

感情的になってもいいのは、ただ一つだけです。

「天声人語」で知りましたが、益田ミリさんの漫画に、小学校の先生が男子児童を泣きながら怒ったというのがあるようです。電車の写真を撮りたくて線路に入ってしまった子を。

読んで、目頭が熱くなりました。「愛」からの感情的です。

藤岡陽子さんの書下ろし長編小説『僕たちは我慢している』(COMPASS)で奮闘する4人の高校生、その一人・穂高英信が二歳下の弟・真宙とともに深夜0時を回って帰宅すると、当直で病院に詰めていた母親の恵理香さんが玄関先に走って出てくる場面があります……。

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